座右の銘

今日はどんよりした空模様。
朝9時から雨が降り出した。
(Yahoo翻訳より)
오늘은 잔뜩 찌푸린, 형세.
아침 9시부터 비가 내리기 시작했다.

今日はどんよりした空模様。
朝9時から雨が降り出した。
(楽々翻訳より)
오늘은 잔뜩 찌푸리는 형세.
아침 9시로부터 비를 내리기 시작한 것.

PCの翻訳2箇所から同じことをやって見たが少しだけ違う。
韓国語初心者はこの違いがわからない。
雨がは、ピガだと思っていたのに楽々翻訳ではピルrになっている。

中学生のときに使っていた座右の銘(좌우명)は韓国の四字熟語(4자 숙어)で備えあれば憂いなし(유비 무환)であろうかと気がついた。
でもちょっと違うかな?
それでネットで調べてみる。
太田道灌が作者とばかり思っていたが、どうも親鸞聖人らしい。

後に天台座主となった慈鎮和尚の寺・青蓮院で、出家の願いは許され、得度の式は翌日行われることになりました。その時、9つの聖人が詠まれたと伝えられるのが、

「明日ありと 思う心の 仇桜
 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

という歌です。

「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりも儚きものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
 慈鎮和尚は感嘆し、その夜のうちに出家の儀が行われ、聖人は天台宗の僧侶となられたのです。

明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは(あすありとおもうこころのあだざくらよわにあらしのふかぬものかは):【意味】桜を見るのは明日でもいい、と思う気持ちは間違いである。夜半に嵐が吹き、桜が散ってしまわないと誰が言えるだろうか。出典不明だが、親鸞上人の歌であると伝えられる。あてというものは往々にして外れるということ、予定通り物事は進まないこと、あるいは無常を表したもの。(講談・寛永馬術、両越大評定、玉菊燈籠、小間物屋四郎兵衛、落語・天王寺詣り、佃祭、かつぎや、質屋庫、擬宝珠他)

まだ他にもいろいろあったが、こんなところである。
それでこれからの韓国生活の座右の銘は備えあれば憂いなしにしようかなと思う。
自分が座右の銘にするということは殆ど守れないと言うことである。
三日坊主(작심삼일)は
確実に守れるのであるが…。ハハハ。
これは自慢にならないねえ。



午後には雨がやみ良い天気になり、家中のカーテン24枚洗濯する。
疲れて腰が不調をきたしたので長男にカーテンレールを拭いてもらって、レースのカーテンは干さずにそのままつるす。
布カーテンは干してからと思っていたが、ベランダは布団カバーやシーツ、ベッドカバーまで洗ったものだから、いっぱい。「え〜い!面倒だ、そのまま吊るしちゃえっ」とばかりに吊るしたが、ストーブをつけるから、もう乾いている。



スーツケースの中身の整理を始めた。
ケースの重量が4キロあるので中身は16キロしか入らない。
しかし30キロは軽々入るので、超過分を空港で持込み用にするわけだ。
分類別に重さを量って、空港で取り出しやすいように記録しておく。
前回の機内預けは神業のように20.0キロだったのでそれを目指そう。