リュックを背負って病院前から大和町まで赤羽行きのバスに乗って、高円寺行きに乗り換えて帰宅する。
昨夜Kに杖を持って来てもらっていたので、無理をしない様に杖をついてお昼前に帰宅。
郵便物の整理、娘やhikari-mamaさん、taeさんのブログ見たり、メールしたして、時間が過ぎる。
退院の時、娘が出したと言うメールが手元に届いてなかったので庶務課に行って印刷してもらった。
この前はオオムラサキつつじと兜の折り紙だったが今回は緑の紅葉と鶴の折り紙だった。
職員の手作りで自分も人にあげたいと思うほどの感激ものである。
夜、お風呂に入ってさっぱりする。
入院費、1割負担で29010円。3割負担の時と比較するとなんとも有難い。
食事は1食260円。主食を減らしてもらって、お陰で1.5キロは減量できた。
5月6日(木)
豊島病院入院の日。
5月7日(金曜日)
手術の日。今日は3人手術するが8時50分のトップのため、8時20分から準備に入る。
ストレッチャーに乗って手術室に行くとばかり思っていたら、なんと自分が使っているベッドで手術室に行き、手術台に乗るのであった。
手術はモニターで見たいと言ってあったが、腕に麻酔をされて朦朧となったので起きていられるか心配だったが大丈夫だった。
膝に内視鏡を入れて手術をする様子を見ることが出来た。
半月板のとげが羊の毛のようにまた、深海の黄色の藻のように上下で隙間なくフサフサ波打っているように動いていてそれを2種類のハサミで切りとっている様子が見られた。
軟骨がすり減っていて、軟骨はうすくなり、ひどいところは2か所で黄色いような骨が見えていた。
かろうじてある軟骨は棘がなくなって羊が毛を刈られた後のようになって、骨は硬そうに露出。
こんな状態だったから足は痛いはずだ。
この日は残念ながら、水も飲めず、ベッドから離れることも出来ない。
麻酔をしているので頭を持ち上げるとよくないそうだ。
じっとしているのは、なんとも腰が痛くて大変だった。
食事はなし。
5月8日(土)
術後1日目。
朝夕、点滴。水飲みOK。朝食は全粥。昼から常食。
尿導管抜いて、車いすOK。夜、座薬入れてもらう。
娘と孫たちが来る。
右は手術した足。左は血栓予防の靴下をはいています。
5月9日(日)
朝夕点滴あり。
膝に溜まった血、100ccをとる。
母の日、娘一家4人来る。
5月10日(月)
洗濯をしに行こうと車いすをこいでいたら、なんと朴先生とトンギュオンマに出会う。
わざわざプサンからお見舞いに来てくれたのであった。
公開保育があるので、翌日帰国するとのこと。
留守の間に残りのハーモニカを送ることになったら連絡が取れずに困るので、電話を入れた時入院のためと話さざるを得なくなって話したのだが、まさかそれだけのためにお出でになるとは…。
枕の下に手紙を入れておいたとおっしゃる。
後で見たら、なんとまあ、2ケタのお見舞いが入っていた。言葉が出ないほど申し訳なし。
点滴が終わって今日からフロモックスという抗生物質をのむことになったが、腹痛と下痢の症状が出て整腸剤のビオフェルミンをのむ。
その後は落ち着いた。
膝の溜まった血50ccとる。
バングラデシュのモハメドさんが固形の食事が出来ないで、働くことも出来なくて沈んでいたので、病院内にある地域医療連携室に案内して、ケースワーカーに相談にのって貰うようにした。
4年前に日本に来て日本語学校にも通ったので日常会話は出来るが漢字が難しいと言う。
5月11日(火)雨
3時30分回診あり。
ドレーンにはまだ血が溜まっていたが、これ以上さしておくのは感染症が心配だから抜くとおっしゃる。
まだ血が出ているので心配だったがその時は、抜けばいいからとおっしゃるので得心。
車いすから、歩行器になった。視界が広がった感じだった。
久しぶりに歩いたことで、足が張ってホカホカで、眠れないので湿布薬を貼って寝る。
お世話になった車いす。
5月12日(水)雨のち晴れ
今日はナイチンゲールが生まれた日で看護の日のイベントがあるとのことで1階玄関の会場に行く。
5月13日
5月14日 退院の日