読書三昧の日。

kが6時食事のため、5時15分起床。
最近5時間、トイレに起きずに寝られるようになったので過活動膀胱の症状は治まって来ているようだ。
しかし外出するとなると、神経質になるのでこれを克服できれば上出来だ。
Kは一通りの物、きちんと食事をとって出かけたので安心する。
食欲が健康のバロメーターである。
昨晩と今朝、「韓国文学の愉しみ」を読み終えたので返却して、仲村修氏翻訳の「わら屋根のある村」「黄牛のおくりもの」「韓国昔ばなし」(上、下)と言うのを借りてこよう。
仲村氏が翻訳した「沈清伝」は、言葉が生きていて読みやすかった。
今日も暑そうだ。
図書館に行って宿題をやってこよう。ワークブックもやらねばならない。


ハングルの勉強はそっちのけ。
「韓国昔ばなし」は上下巻とも小茂根図書館にあったので借りて2冊とも読み終えた。
昔ばなし100話読んだことになる。
自分が本を読みだすと時間に関係なく読み終えないと気が済まないので、生活に支障をきたす。
予定していたこと、サッパリ出来ず。現在11時5分前。
昨晩も12時過ぎまで本を読み、今朝も続きを読み終える。
「韓国古典文学の愉しみ」仲村修氏は文学作品翻訳の難しさとして−言葉から心を探り当て、その心を異質の言葉にのせそわせることの難しさ−を感じると書かれていた。
なるほどな〜。

「韓国昔ばなし」で面白い表現があることに気付いた。
骨が曲がるほど働いても。
股が裂けるほど貧しい。いつも股が裂けるほど貧しかった。
豆1粒を半分に分けあって食べるほどの仲良し。
手が足になるほどお詫びした。
手が足になるほどお詫びをした。
昔、虎がたばこを吸い、黒いカササギが言葉をしゃべっていたころのこと。
「天が崩れても這い出す穴がある」の諺通り。
これらの表現が良く出て来ていたが、12回とか、骨が曲がるほど働く、股が裂けるほど、手が足になるほどなどの表現は日本と違うかなあと思った。